第二部


   「孤独」


そのチラシに気づいた時、思わず見入ってしまった。科警研の研究員の募集。どこの研究室に配属されるかはわからないが、科警研で働きませんかという応募のチラシ。今まで、僕の知っている科警研はあくまで警察の一部で、外部からの入所はありえなかった。だが、それでは人が足らなくなったのだろう。そもそも警察官になる人が少ない。僕が警視総監だった頃から、それは深刻な悩みだった。現場の刑事を減らすわけにはいかないから、こういった研究所に警察官を回すことが難しくなってきた…そういう裏の事情もわかる。もし、もっと早くにこういう募集を見ていたら、僕は応募しただろう。刑事たちから情報を貰ったり、科警研の人を紹介してもらったりという手間を省いて科警研に入れた。まあ、僕はもう第九に入れたから、いいけど…。

ちょっと迷ったけど、一枚取って、大事に保管した。

泉のところには、もう一か月ほど行ってない。もう行けない。行ってはならないと戒めていた。


でも…。本当は会いたかった。会いたくて会いたくて、心がちぎれそうだった。顔だけでも…と思う自分を抑えつけた。顔を見たら、次にはどういう欲求がつのるか、わかっていたから。僕は積極的に土日に仕事を入れた。そうじゃないと自分の考えとは裏腹に、勝手に泉のところに行ってしまいそうだった。休みの日は困った。泉がまだ仕事を見つけてないのなら、平日にも家にいるだろう。今行けば会えるかもしれない。そう思ってしまう。気を紛らわせるために、自宅の掃除をした。ゴミ袋だけは積み重なってしまうが、ある程度は片づいた。それで時間があれば酒を飲んでごまかした。酒の空き缶がいっぱい転がって、せっかく片づけた部屋がまた散らかった。性欲は自己処理した。新宿に行く気にもなれなかった。前は新宿に行けばそれなりに楽しめた。でももう―。愛のないセックスはしたくない。それくらいなら自己処理でいい。その時はやっぱり泉とのセックスを思った。泉を頭で抱いた。過去のいろんなセックスを思い出した。愛し愛された記憶。時には携帯の写真を見ながら、自分を慰めた。だから、自己処理して、性欲をなんとか満足させた後は、必ず泣いた。もう二度と抱けない。セックスだけじゃない。毎日のいろんな会話。泉の笑顔。それらももう、二度と触れることができない。深い喪失感。いいしれぬ孤独。

 


時間がたっぷりあったから、いろいろ考えたけど、僕は本当はほとんど完全にゲイなのだと思う。遠い記憶をたどると昔、女の体を見ると、ぞっとしたものだった。遠い遠い記憶。特に胸が大きい人とか見るとげんなりした。そういうセックスシンボルみたいなのが本能的に苦手だった。もちろんそれは表情には出さないようにはした。そうしないと生きていけないとわかっていたから。だけど、泉は特別で、ある日突然、僕は女とのセックスの快楽を知ってしまった。だから、他の女の体にも興味を持つようになった。セックスの快楽を他の女でも得られるのではないかと期待して。それでいて本質的にゲイだから、女の体に吐き気がする。女性書記官や石山さんや赤坂さんらの体をそれぞれ抱きしめたけれど、僕は気持ち悪いとどこかで感じてしまった。ナニもいっさい反応しなかった。

おまけに泉と関係を持った後も、女性のヌード写真やグラビアなどを見ても、やっぱりなんにも感じなかった。気持ち悪いとまで思った。泉の体のほうがずっと綺麗だったから、そのせいだと思っていたけど、僕はゲイだから女の体を受けつけない。

どうして泉だけは特別なのか、僕にもわからない。僕の脳が、泉にしかないなにかに反応しているとしか思えない。泉にしかないものだから、他の女性にはない。だから、他の女性にどれほど興奮しようとも、僕の脳は拒絶する。男にだったら、たやすく欲情するのだから、やっぱりゲイで間違いはない。それでいて、男女のアレにはすごく快感を感じる。男同士のセックスよりも気持ちがいい。泉を失って、僕はもう二度と…あのセックスの快感を得られることはない。自己処理ではむなしさが残る。

きっと、今はこうやって自己処理していても、それじゃ足りなくなって、また新宿に行くのだろう。惨めな気持ちを味わいながらも、せめて誰かのぬくもりを求めて行ってしまう。また…ずっと前と同じになる。前はそれでも鈴木や青木のことを思って、代わりに抱かれている気分になって、快感を得られた。だけど、男との行為は女とのセックスとまるで違うから、今の僕には満たされない思いがどうしても残る。僕は満たされないまま、残りの人生を送らなければならない。残りの人生って? いったいいつまで僕の人生は続くんだ!?

そう思うとつらくて、悲しくて、そして孤独だった。まるままゲイだった頃よりも孤独だった。ゲイの時は同胞がいた。同じように男しか愛せない男。だけど、僕は泉を愛して、女を愛したのに。そんなゲイなんていない。バイはいるけど、バイは女も複数を愛せる。僕は泉にだけ。そんなのバイにもいない。僕の孤独をわかってくれる人はどこにもいない。この孤独で奇妙な体でいつまで生きればいい?


酒を飲んでそのまま眠ったら、変な夢を見た。テロで入院した時に見た夢と同じようなもの。

違うテロで僕は泉をかばって死ぬ。泉は嘆いて何度も自殺未遂を繰り返す。青木は懸命にそれを支える。このままでは泉も死んでしまう。青木は泉を抱くことで僕を忘れさせようとする。泉も一時は忘れようと努力する。青木との子供ができて結婚。でも(たけし)が成長し、母親への思慕が募り、泉を強姦する。泉は健に怯えるけど、僕に似ているから拒絶できない。健は毎日のように求める。拒めない。泉は近親相姦の罪にさいなまれる。何度か健に同年代の女の子とつきあうように言う。健もそれなりにつきあおうとするが、結局泉から離れられない。離れられないまま警察官になり第九に入る。健にとっては青木が疎ましい。だから青木を排除したいと考える。そして青木にわかるように泉を抱いて―。

起きた時、複雑な気持ちになった。青木も(たけし)ももういない。もし僕がもっと早くに死んでいれば青木は泉を抱いただろう。そして結婚もしただろう。そしたら泉は幸せになれたかもしれない。健がいなければ。健は健で本当に泉を愛してたんだと思う。他の女に必死で目を向けようとしても、心は泉にしか向かない。だから健は命を捨てる覚悟で泉を僕から奪おうとした。いっそあの時、健を殺さずに健の思うとおりにさせていたら、泉は幸せになったのだろうか。でも、青木はともかく、健は僕と同じだ。僕と一緒で長く泉と暮らしていれば、ふらっと他の女に揺らぐ。夢の中では泉が先に死んでしまうけど―。

僕は泉にどうしてやれば、泉は幸せになったのだろう。出会わなければよかったのだろうか。でも僕はそれだけは後悔しない。出会って、僕は初めて女を愛することができた。愛して結婚して子供もできて。何度も思い出す、幸せな日々。子供が巣立ってからも僕たちは互いに愛し合った。泉は僕と一緒にいて幸せそうな笑顔でいてくれた。それは嘘じゃない。

嘘じゃないのに、僕が裏切った。どんなに後悔しても反省してもその事実は取り消せない。こんな形で別れるなんて、僕は泉に残酷なことばかりしてる。もう生きていきたくない。こんな孤独を抱えて生きてもしかたない。愛し合った人を苦しめてまで生きる必要がない。




 

 


                               

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